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画像なし。ついに41話が書けたぞ!
イヤァ3ヶ月もサボってたなんて信じられないね!時が経つのって早いね!
すいません。
今回は峠口家についてということで、まずは天希の母・峠口真悠美をクローズアップし・・・と思ったらいつのまにか奥華回になってました。
いつもより心理描写みたいなのが増えちまった。3ヶ月のブランクのせいかな?
ウーム、このままだと第三章の終了は予定してたよりもっと先になりそうだぞ・・・・
今回は登場キャラが少なかったですね。船に誰がいるかは前の話で確認してね!

風邪をひきました。学校やすみました。
10月に入って即学校開始!9月いっぱいまで夏休みだったんだぜ!いいだろ!
昨日は久しぶりに学校の帰りの途中にある駅近辺でブラブラしてたしな・・・イヤ、それだけで風邪ひくのもおかしいなッ!
またTwitterの浮上率が下がるぞォ・・・来年は四年生だしもっと下がるぞォ・・・
そろそろ就活の時期でもあるね。ワシの学部は動き出すの遅いけどね。
エーッ、ワシ働きたくない!というか誰かの下につきたくない!どっかの超ハイセンスなゲームデザインスタヂオみたいに大学卒業と同時に自分のシマ持ちたい!
うぅむ・・・となると実力がつくまで自宅警備員かな・・・アレ?これダメなルートかな?
とりあえず自分がどこかで働いてる姿ってのは想像がつかないっす。ものすごい疲れてる姿は想像できるけど。
下につきたくないとは言えども、高みに上る事と自分の好きな事を押し通す事だったら後者を優先したいっす。
アレッ?ワシ何の話してるんだろう・・・
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どうも、サボり魔なめくじです。
先月のデラストが書き終っていないのに、もう次の月の〆切が迫っているッ・・・!
しかも今月はNEKRONIMのラフを完成させなきゃいけない月でもあります。
課題ラッシュで時間的余裕はありそうでも精神的余裕がないッ・・・!
アッ、今の一行はクズがよく言う言い訳です。ワシもまだまだだな。


今日は占いに関しての話です。
ワシは元々占いに関してはあまり良いイメージを持っていませんでした。しかし、Twitterで仲良くなったとある人が占いに熱心な人で、その姿を見たワシは少々占いに対する偏見を改める事にしました。
が、どうしてもうまい改め方ができんかったので、占いの起源について考えてみる事にしました。(注*「調べた」わけではありません。ソースも何もありません。いつものごとく頭の中にあった使えそうな事柄を勝手に結びつけた上での考察です)
政治の「政」は「まつりごと」と読む事ができ、古代の日本では祭やまじないといったものを通じて、国や邑の秩序を決めていました。
平安の貴族も占いでその日の行動を決めていました。「方塞がり」とかが顕著な例ですね。このように、少なくとも昔の日本では、占いは何かを決める際によく用いられるものでした。
ところで、占いにはさまざまな方式があります。厳密な方法があるかと思えば、少しだけ方式の違う派生型があったりと。
それでも、占いを始めてから結果が出るまでには何らかの動作、つまり「手続き」があります。方式によっては、この手続きで少しでも手を抜くと、正しい結果が得られないとも言います。
ここで占いに対して懐疑的な人は「本当にそれで正しい結果がでるのか」「非科学的だし信じられない」と感じると思います。とくに「非科学的だ」はよく引き合いにだされますね。
じゃあ「非科学的」って何なんでしょう?「科学」って何なんでしょう?
あっちがこうだからこっちがこうなっている、あそこでこういう事が起きたからここでもこういう事がおきている、ああだからこうなっている、という、いわゆる「筋が通った話」はだれでも信じるに値します。逆に筋の通ってない話は人はたいてい信じません。
「筋が通った話」とは、まず原因と結果があって、その二つがうまく結びついているものを言います。結果から原因を探る、もしくは原因から結果を導きだす時に、余計な言葉があって考えを邪魔されるような事があれば、それは筋の通った話とは言えません。
現代ならば物事は、手続きとして「科学的に」「検証して」間違いないと言える原因や結果を当てる事もできますが、古代ではそうはいきません。下手な鉄砲数撃ちゃ当たると言うように、物事の原因をはっきりさせるのに、勝手な原因をつくり出し、その原因ゆえに今の結果があると言っていたのです。これが占いです。
代表例として錬金術があります。錬金術が占い?と思う方もいるかもしれませんが、元々大した違いはありません。
錬金術における金のつくりかたなんてのは、今の科学からすればバカバカしいとも言えるやり方です。しかし、これをこうすればこうなるんだ!という、かりそめの現象に対する強い信奉は「占いとも」「科学とも」同じです。
このような当てずっぽうの筋立ては世界各地で、あらゆる条件の中で考えられ、たくさんの「説」が生まれました。これが今日の占いの方式の雑多さにつながるんだと思います。
しかし錬金術は今日の科学の親と言われています。雑多な方式の中で、錬金術だけが科学の親?ワシはそうじゃないと思います。
ワシが思うに、科学は「占いの中の一部」なんじゃないかと。
当てずっぽうな筋立てでも、数多くの人が繰り返し行っているうちに「最初は筋が通っているように見えたけど、これは違うんじゃないか」「これは確かに合ってる気がする」というそれぞれの意見が生まれてくるはずです。
「当てずっぽうな筋立て」というのは上でも書いたように「占い」そのもののことで、その数々の占いから、いつでも検証可能で正しいであろうとされた部分の集合体、それが科学なんだと思います。
つまり、筋立てを作っては間違いだとバッシングされていった数々の占いがなければ、科学は生まれていなかった気がするのです。
だから、占いそのものは「非科学的」でなく、むしろ科学が「占術的」であると言った方がワシは納得できます。要するに占いの方が上位カテゴリなんです。科学はそのうちの一部にすぎないんです。
占いそのものに対して「非科学的だ」と言うのは、チョコ菓子全体に対して「お前らなんかブラックサンダーじゃねえ」って言ってるのと同じです。傲慢です。なので占いをする人は科学に肩を持って批判してくる人など気にせず胸を張って占いをやればいいのです。

もう一方の話。
上位カテゴリと言ってしまえば科学よりも占いの方が偉い気がする。それは間違いとは言いません。
では科学を信じずに占いだけ信じていればいいか?絶対そんな事はありません。
ワシが占いに関して一番危惧しているのは、占いによって人の人生が壊される事があると言うことです。
占いの最も危険な面として三つ挙げられます。一つは占いを強く信じすぎる人が、その結果に沿った行動をしたいがために、人に危害をくわえる事。一つは占いの結果が「誰かを殺さなければならない」と言ったような極端なものである場合がある事。一つは占いを受ける人と占う人がいる場合に、占う側が意図を持って結果を操作できる事。
そして、実際にこの三点の条件を満たして行動を起こしてしまった団体がぽつぽついます。オウム真理教を初めとする新興宗教です。
宗教と言うのは、科学とは少し違った原理を求めて集まってくる人間でできています。また、その宗教に神があれば、その神の意志を具体的に聞くための儀式、つまり「占い」が必要となります。
そしてその神の意志を主に聞く人間は集団の中でも数を絞られます。具体的には集団の中でも上位の人がその役割を担うのですが、その人が集団に向かって発言したとして、それが本当に神の意志なのか、それともその人自身が持っている策略によるものなのか、それは確かめようがありません。
しかしそれが神のお告げだと表面的に銘打っていれば、そこに集まった人たちはそれを信じて行動に移ります。もし教祖なる人が現人神のように振る舞い、その人の意志で発言しても、集団はやはり自分たちのためになると言う事を信じて行動します。
疑う人間が全くいないとは限りません。よくYoutubeなんかに元・創価学会の幹部の証言なんてのがあったりします。しかし、信じる人は中心に近づいていき、信じない人は遠ざかっていくもので、当然集団を構成する人間の大半は神のお告げを信ずる人たちです。
話がそれましたが、つまり占いというものは規模が大きくなればなるほど、占う側の陰謀が見えづらくなり、占われる側の信じ方がヒステリックになっていきます。
では、そういう事件の加害者にならないためにはどうするか?最大の手は「結果を本気にしない事」です。
Twitterのその人が言ってたのは、占いと言うのはアドバイスであると言う事です。つまりその人の人生を良くするのは最終的にその人自身の行動であって、占いそのものや占いの結果が直接人の人生を良くするものではありません。自分の人生のために占いを使うのでなく、占いのために自分の人生を使ってしまうと、さっき挙げた三つの例のうちの一つ目に嵌ってしまいます。
人生を料理に例えれば、占いはほんの少々の塩です。隠し味みたいなものです。塩だけでできた料理なんて自分も他人も食べられません。同じように、占いの結果だけ本気にして生きても、自分も人も特はしないのです。
だからこそ、占いと言うのは信じるも信じないも自由なんです。自分の気に入らない結果を信じる必要などないのです。占いをする時はあくまで自分が主人公です。その事を忘れずに、占いを楽しんでください。
人は時に非常に不安定になる時があり、何か心の拠り所が欲しくなって長いものに巻かれる時もあります。そんな時はぜひ科学を信じてやってください。



・・・ところで、「百人一首歌占鈔」という本を見つけたんだ。
百人一首にも占いにも興味を持ち始めたワシにドンピシャの本だね。


むかしむかし、天と地が分かれたばかりで、この世に何も存在しなかった頃、唯一そこにいたのはクズであった。

「あ~、何でもかんでも人のせいにしてぇな~!」

こうして人類が生まれた。





ウギャーッ!画像忘れた!



ドミ、なめくじです。
再開2回目にして早くも更新遅れです。ホントニゴメンナサイ!
今回は峠口夫妻が登場します。大網のデザインは描く度に変わるし、真悠美なんかそもそも描いた事すらないし・・・この記事の画像が初みたいなもんだよ!てへぺろ!
ちなみに画像というのはいつものとおり話の内容を要約したラクガキですが、ホワイトボードが部屋の奥に封印されてしまったのでデジタルで描きました。
落書きすらままならないデジタルェ・・・
本当は今日の朝にアップロードしたかったのに。サーバ接続用のアプリが落ちまくってあたふたしちまったのだよ!
いつもならパッと立ち上げてパッとアップロードして終わりなのにネー。
帰宅して少しやり方を変えたらアップロードできた。学校でやってもよかったんじゃないか。

まどマギ観ました。アッ話したっけ?
エットネ、最近は特に記事に描くような出来事はないね。
ウーム、話題を探す力の不足だッ!このスキルは物語を作り続けるにも必要不可欠なんだな!
誰か話題を見つける工夫とか知ってる人がいたら教えてくれないかな。教えてくれェ。頼む。

RSSリーダー見たらTwitterのみんなのブログが更新されててウヒョーってなったよ。
ワシもブログをもっと頻繁に更新して、みんなに読んでもらいたいぞ!と思うんだけど・・・アッ、キャラ紹介だったね、はよ描かないと!
ワシはだいたい創作のことしか頭にないんだから、それをちゃんと文章にするスキルもつけた方がいいんだよね。
ワシは知ってるぞ、創作クラスタってのは頭の中にあるものが自分の思い通りに具現化することができなくて困ってるヤツの集まりなんだ!ワシもだ!
でもTwitterを見ている限りでは、やっぱ深い設定のありそうな人ってのはたくさんいるよ。そういう人達ともっと交流したいし、その際に相手が言葉にできなくて困っている部分を、こっちの話し方によって、自然に言葉として導き出せるようになれればいいよね。
そうすれば交流に対する意義が生まれる。交流すればするほど自分の中に眠っていた設定をどんどん形にすることができるようになって、それを読んだ相手も楽しめてサイコーじゃないですか!セカイヘイワ!ユートピア!
アッ、すでにワシと交流してくれてる人ありがとう。ワシに設定を曝け出す勇気や漫画を描き出す勇気をくれたのはみんななんだぜッ!
ワシにとってTwitterにいる創作クラスタみんなは恩人でありライバルでありオトモダチなのだよ。
少なくとも恩はあるわけだ。その恩を、その人が創作で形にできなくて困っている点を1ページでも多く、一言でも多く具体化できるように導いてあげるっていう形で返せたらイイよね。
交流といえば、企画とかも自分の興味に合うものがあったら積極的に参加して行きたいのう。

・・・ほら、オモシロイ出来事はないけど、こういう話になると尽きないのよ。ココロモチってのは時によって変わるもんだし、こんな記事でも日記として残せる・・・よね?





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