ここで皆さんに質問です。「言葉」「言語」とは、一体誰が造ったものなのでしょう?
神様を信じる人は、神様が人間に言葉をもたらしたと答えますか?神様を信じない人はどう答えますか?
私は普段の生活では神様を信じない立場にいます。私はこう答えましょう。
「言葉は、人間が造ったものである。」
しかし、私はさらにこう言いたいのです。
「言葉とは、人間が造るものである。」
現代の人々が使っている言葉のそれぞれには必ず「語源」があります。辞典やインターネットで調べれば、一部の言葉の語源を知ることはできますが、すべての言葉のすべての語源が載っているわけではありません。そこには人が調べて分かった分の情報しかありません。
もし、ある1つの単語の語源を、時代をさかのぼって途切れること無く追うことができるとすれば、やがて前回の「言葉の誕生」の瞬間に行き着くことでしょう。
逆に言えば、今私たちが日常非日常で使っている言葉とはすべて、前回のような「言葉の誕生」から脈々と姿を変え、進化していったその末端の形であると考えることができるのです。
また、一部の似た言葉、あるいは全く違うように聞こえる言葉でも、さかのぼると同じ語源を持っていることがあります。
生物の進化の系譜がそう現されるように、言葉の進化の系譜も美しい樹形図で表すことができるかもしれません。そして、その太い幹の一番最下部こそが、言葉の誕生の瞬間であると言えます。
しかし、ここでいくつかの疑問が生じることでしょう。
まず、先ほどから当たり前のように使っている「言葉の進化」という語ですが、そもそも言葉とは本当に「進化」するものなのか?そうだとすれば、どういう風に?
そして、そもそもこの話の一番最初、仮に人ではなく神様こそが言葉を造ったのだと考えれば、この話自体がおじゃんになってしまうのではないか?
その疑問を、次回の話で解消しようと思います。「言葉」の中に潜む、恐るべき「当たり前の構造」を語るのは、まだまだ先になりそうです。
【twitter経由の方へ】もし「○○はなんで○○なんだろう?」という疑問が日常生活の中で発生した方、もしよろしければ@Greenmoonslugまで。疑問解消のお役に立てるかもしれません。また、今後記事を書く際の参考にさせていただく事もあります。ご意見、ご感想、ご指摘などもお待ちしております。PR