なめくじが今、心理哲学で最も頻繁に使っている方式は「オリジン法」と言うものです。
生物学・進化論によれば、人間は生物の進化の末端にいるはずです。そして、現在人間が持つ言語や知識や能力、文化、社会、文明、娯楽、宗教もまた、類人猿から現代の人間に進化する過程で生まれていったものと考えることができます。
オリジン法はそれらのカテゴリーから、進化の過程を逆に辿り、人間が起こす行動をできるだけ簡潔な表現に変えることで、自分が抱いている疑問を解決する方法です。そのため、原始人やサルなどがよく例に出されます。
前回のサルの例が一番分かりやすいでしょう。「価値観」という難しい言葉が理解する気を削いでいるように思えますが、前回の例のように、価値観のズレとはサルでも起こるのです。具体的にどのようにズレるのかは前回の説明の通りです。
それではもし、前回の例のサルがサルではなく、言葉をある程度使える原始人だったら?
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一本の木の下に原始人Aがやってきた。木に寄りかかって休んでいると、上から木の実が偶然目の前に落ちてきた。原始人Aはこれを喜んで食べ、またどこかへ行ってしまった。
すぐ後に、同じ木の下に原始人Bがやってきた。木に寄りかかって休んでいると、上から木の実が偶然頭の上に落ちてきた。原始人Bはびっくりして、木から逃げるように走り去ってしまった。
後に原始人Aと原始人Bは出会って友達になり、原始人Aは前に休んだ木の下に原始人Bを誘った。しかし原始人Bは嫌がってその木の下には行こうとしなかった。原始人Aがなぜ木の下に来ようとしないのかと問うと、原始人Bは「そこで休んだら頭の上に木の実が落ちてきて痛いだろう」と言った。
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ここに言葉を追加したことによって、AとBはある程度情報を共有できるようになりました。もしかしたら、この後原始人AはBの言い訳に納得するかもしれません。しかし、原始人Aがもし人生の中で、自分の頭の上に木の実が落ちてくるということを体験したことがなければ、想像がつかないかもしれません。
しかし、原始人Bの「痛い思いをしたくない」という意志は、サルの例と違って相手の方に発信されました。言葉を相手に伝えることによって、自分の行動の理由、裏付けを相手に説明し、共感させることができるようになります。
一方で、現代のJ-POP音楽の歌詞などで「言葉にできない」や「言葉だけじゃ足りない」などといったフレーズを見かけますね。
また、ラジオの生放送や何かのライブのときに、歌詞や台詞やネタを忘れてしまうこともあります。
つまり、人間は言葉にしたいものをすべて言葉にできるわけではないのです。
上記の原始人同士のやり取りを、現代の人間の会話のやり取りに置換えたとして、その場その場で思いついていた言葉が急に詰まった、先の考えが言葉にできなくなった、などのことは起こり得ることです。この場合はサルの例の状態、つまり自分がなぜこういう意見を出したのかを、相手に伝えることができない状態です。
ど忘れは偶然に起こるものです。会話中の一言のズレで「この人と自分は価値観が違う」と思うことは珍しいことではありません。サルや原始人の例の中にも隠れている言葉「偶然」こそが、価値観の違いを決定してしまう主な要素だと私は思っています。
偶然によって開けてしまった価値観の差、もし埋めたいのであれば、偶然のいたずらによってできた穴を埋めるための努力を怠らないでください。
次回は、私がオリジン法によって発見した「言葉」の秘密を探っていきたいと思っています。
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