心理哲学のお時間が(ついに)やってまいりました。本日のお題は「なぜ価値観の違う人間がいるのか」です。
自分の言う事を理解してくれない人、逆に自分では理解できないようなことを言ってくる人、自分が好きな趣味や人物、映画、学問、音楽、ゲーム、漫画、アニメ、バンド、スポーツ、デザインの少なくともどれかを嫌いだと思ってる人が世の中のどこかにはいます。
しかし、同じ人間でありながら、なぜそのように意見や趣味の食い違う人間がいるのでしょうか?
「何で理解してくれないんだろう」という疑問に対して「価値観は人それぞれだから」という答えは正解ではありますが、そう答えたとしても「じゃあなぜ価値観は人それぞれなのか」という事まで考えている人は割と少ないように思います。
ここで1つ、価値観の食い違いが起こる瞬間の例を挙げてみたいと思います。
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一本の木の下にサルAがやってきた。木に寄りかかって休んでいると、上から木の実が偶然目の前に落ちてきた。サルAはこれを喜んで食べ、またどこかへ行ってしまった。
すぐ後に、同じ木の下にサルBがやってきた。木に寄りかかって休んでいると、上から木の実が偶然頭の上に落ちてきた。サルBはびっくりして、木から逃げるように走り去ってしまった。
後にサルAとサルBは出会って友達になり、サルAは前に休んだ木の下にサルBを誘った。しかしサルBは嫌がってその木の下には行こうとしなかった。
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どんなに複雑に見える価値観の食い違いも、基本はこういうことです。あるものに触れた時、一方はその恩恵を受けたが、一方は嫌な思いをした。これで、○○が好きな人、嫌いな人という構図は完成するわけです。
特に気付かれにくい点は、上記のサルの例のように「偶然」恩恵を受けた、受けられなかったということは十分にあり得るという事です。むしろ、価値観の食い違いが起こる大元の起因はほとんど偶然といっても間違いではありません。
価値観は、その人のそれまでの人生の中で体験してきた事を元に形作られていくものです。ものを好きになる、嫌いになるのには、必ずその人なりの理由があります。ただし、その理由をすべて言葉で説明できるものではありませんし、100%相手に伝えられるものでもありません。もし、自分と価値観の違う人間に出会ったら、少なくとも「この人はこういう判断をするだけの体験を今までしてきたんだ。そういう背景の中で生きてきたんだ」という事を自分から考えてあげるのがベストだと思われます。
・・・いかがでしたか?これがなめくじ流心理哲学です。
一見、当たり前のことを言っているように思えますが、これはほんの一例に過ぎません。今の文章の中には、なめくじが使っている心理哲学において重要な部分がいくつも入っているので、これを初回として挙げさせていただきました。
特に、途中で入ったサルの例、あれこそがなめくじの心理哲学「オリジン法」の考え方なのです。詳しい事は次回にします。
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